いっしょに♪歩こう♪  

と畜場見学(前置き)

何年も前から、肉を頂くということについては色々と考えてきました。「肉を食べないなんて動物愛護でもなんでもない。ただの偏食。馬鹿らしい」とか「植物だって生きているのに肉だけ食べないなんて種差別だ」とか「美味しく料理して感謝して食べればそれでよし」・・・そういう意見を見るたびに、そうなのだろうか・・と考え、悩んで来ました。確かに人ひとりが肉や牛乳を止めたところで今家畜として飼われている牛や馬が助かることはないし、植物にも命はあります。

私が肉を食べなくなったのは、人間は肉を食べなくては生きられないと思っていたものが、肉を食べなくても生きられる・そういう生き方の選択もできるということを知ったから。今まで考えないようにしてきた動物たちの辛さに気付き、牛や馬も犬や猫とおなじような感情豊かな動物であり、なんら変わりがないと思ったから。牛や豚だってもっと幸せな暮らしをしたいはず、殺されたくないはず、生きたいはず、と畜される直前の動物たちはきっと殺処分される犬や猫たちを同じ気持ちをもっているはず・・・そういうことに気がついたからです。そういう風に考え始めたら食べられなくなってしまったのです。

ですから、肉を食べなくなった時点では、「どのようにして美味しい肉ができるのか。牛乳はどのように作られるのか」「どのような飼育方法がとられているのか」・・そして「どのようにと畜されるのか」なんてことは知りませんでした。調べませんでした。それが理由ではないからです。

以前、ある方から次のような意見を頂きました。「 ほんとうに、その現場をみて、食べれないというのなら納得いきますが、写真だけをみたり、人から話をきいただけで、肉を食べるのをやめるというのは、どうかなとおもいます」

 (↑↑コメントの一部を載せただけです。詳細はこちら。 コメント欄下から二つ目のコメントです。一番下のコメントはこのコメントに対する私はコメントになります。)

と畜の実態うんぬんではなく、違う理由で肉を食べなくなったものが、と畜を実際にこの目で見なければならない理由は何なんだろう・・・肉を食べるのを止める以前は当然のごとく肉を食べていたから?

では、今肉を食べない私がこの目で実際に見なければならないのなら、肉を頂いている消費者は消費していない人たちよりももっとその実態をしらなければいけないのではないのだろうか・・・




と畜の実態は日本ではまだまだ隠されているようです。正しく伝えられれば、その仕事につく人たちが誇りを持って仕事を遂行している姿も分かるだろうし、失われた命がどんなに大切なものであるかが実感できるだろうに・・・



廃棄される食料の多さ。どこに食べ物に対して感謝の念があるのだろうかと思われるようなテレビ番組。旅館に泊まれば、食べきれない位の品数のの多さ。口では「頂きます」と言っていても、心からではないことの方が多いような気がしてなりません。


ポール・マッカートニーの言葉にこのようなものがあります。
・・屠殺場の壁がガラス張りだったら、人々はみな、ベジタリアンになるでしょう。
           

はたしてそうなのでしょうか。


もともと肉を食べない人はますますその意思固める人が多いですが、そうでない人(肉を頂く人)は 命の大切さを実感こそすれ、肉を止めようという発想にはならない人も多いような気がします(あくまで私の印象。しかもネットで日記などを読んだだけの印象です。)


食について考えている人たちのブログやホームページを見ると、
「肉を食べているからには、どうやって肉が作られているのか、と畜の実態をちゃんと自分の目で確かめるべきだ」という意見もよく見ます。




と畜とはどういうものなのか・・・・・

実際に見学してきた人のレポートを載せたいと思います。

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